blog-chronicle〈ブロニクル〉

あちこちのブログ、HPに書きちらかしたエントリを一本化。

『漂流教室』

 楳図かずおの原作は、はじめて読んだ少年時代の僕にはトラウマもんでした。荒廃した未来社会、家族から引き離される孤独と絶望、みにくい食料の奪いあいに象徴される人間不信…。

 映画版はそこまでエグい描き方はしてません。おどろおどろしい楳図ワールドも大林宣彦監督にかかるとファンタジックなメルヘンにサマ変わりです。なんたって舞台がアメリカンスクール、設定からしてオシャレ。生徒たちがいきなりミュージカルなんか始めちゃうし。どうでもいいことですが大林監督、この作品でも新人の子を容赦なく脱がしてます。あまり意味もなく(?)。

 CGなんてほとんどなかった1987年の作品ですが、特撮にはかなり力入ってます。クリーチャー造型等賛否あるかもしれませんが、地底人(未来人だっけ?)のデザインがまんまETだったり…いや、これはウルトラセブンのチブル星人もミックスされてるような)。背景の書割り感もファンタジーということで大目に見ることにします。

 さて、子どもたちがもといた世界(現代)の側では、誰かがこんな意味のセリフを口にします。「大人は子どもから取り残される存在なのだ…」

 子どもたちが未来に行ってしまったわけではなく、われわれ大人が取り残されたのだという見方はなかなか深みがあります。


 考えてみればこれはタイムスリップに限らない話ですよね。子どもたちが成長する未来には、もう僕らは存在していないのですから。そんなことを考えてしまうのもこちらが年をとった証拠でしょうか…。

 窪塚洋介とかが出てたテレビ版「漂流教室」もなんか?だった記憶がありますけど、やはり映画やドラマと原作は別モノ。映画版を見ながら考えるのは原作のことばかりでした…。ちなみに映画化にあわせてかどうかわかりませんがノベライズも出ています(たしか角川文庫?)。