blog-chronicle〈ブロニクル〉

あちこちのブログ、HPに書きちらかしたエントリを一本化。

聴覚障害についてちょっと真面目に考えてみた。

 

半年ほど前になるが地元フリーペーパーの取材で、聴覚障害、ろう者の方たちとそれをサポートする支援団体のイベントへ出かけた。

会場は地元の公民館ホール。客席には多くの来場者。聴覚障害の当事者や支援など関わる人々はこんなにも多いのだと思わされる。

 

外から見ただけではなかなかわからない聴覚障害だがコミュニケーションには重大な支障をきたす。

ろう者がコミュニケーションする場合、「手話」と「口話」のふたつの手段がある。これまで日本ではろう者の教育は口語だけと定められ、手話というコミュニケーション法はなかなか認知されなかった。

ろう者が手話で教育を受けられ、手話がろう者の言葉(言語)であると認める「手話言語法」制定の必要性を訴えることがイベントの主旨であった。その後知ったが日本の法律では「盲ろう者」の定義もはっきり定められていないという。まったくひどい話だ。

 

イベントの後半、ダンスと手話によるパフォーマンスが行われた。

演じたのは聴覚障害者と健常者の混成による女性4名のグループ。振付けの中に手話を取り入れながらダンスミュージックに合わせて踊る。聞こえる人も聞こえない人もともに楽しめる趣向だ。彼女たちはこのパフォーマンスを各地で披露しているという。

ステージに明かりがともり、イントロとともに手話ダンスが始まった。4人の女性がチェック模様の衣装に身をつつみAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」などさまざまな曲に合わせて踊る。振り付けもぴったり、リズム感も抜群だ。

 

ぼんやりと客席で眺めていた僕は、あることに気づきちょっとした衝撃を受けた。

いまステージで踊っているグループには聴覚障害の方も含まれている。事前の紹介ではたしか完全に聴こえないということだった。いったいどうやって曲にぴったり合わせて踊ることが可能なのだろう?

 

考えられるとすれば客席後方の観客から見えない場所にライトが仕掛けてあり、それが曲に合わせてピカピカ点滅するのを目で見ながら踊っている可能性だ。しかし客席から振り返ってみてもそんなライトはどこにも見当たらなかった。だとするとステージの床に伝わる音楽の振動をたよりに踊っているのか・・・。

いずれにしても僕らの想像を超えた厳しい練習を積んでいるのにちがいない。見ている僕たちにまったくハンディキャップを感じさせないパフォーマンスだった。

 

イベントの前半にはろうの方が自身の体験談を手話をまじえながら会場に伝えた。ご高齢の女性であったが、その方の少女時代、ろう者に対する世間の風当たりは今以上に厳しいものだったという。

ろう者はなかば強引に寄宿制のろう学校に入れられた。まだ幼かったその方は無理やり両親と引き離され、たいへん寂しい思いをしたという。

寄宿学校では手話を使うことは絶対禁止で不自由な口話によるコミュニケーションを強制された。はじめに書いたように手話はろう者の言語として認められていなかったのだ。いままで知らなかった事実に衝撃を受けた。

 

聴覚障害、ろうをめぐる厳しい現実をあらためて知るよい機会だった。

ちなみに僕も片方しか耳が聞こえず、イベント主催者に取材したとき「実は僕も聴覚障害があるんですよ」とカミングアウトしたかったが、なんとなく気後れして切り出せなかった。ろうの人たちに較べれば自分なんかとても障害と呼ぶほどではない。いってみれば「なんちゃって障害者」だ。

 

これまで自分が「障害者」ではなく、どうにか「健常者」のあいだで生きてこられたのも、かろうじて片方の耳が聞こえていたからだ。ほんとに紙一重の偶然というか幸運だったにすぎないのだ。

もし両方とも聞こえてなかったら、いまごろ僕はどうなっていただろう。もしかしたらチェックの衣装を着てステージの上で「恋するフォーチュンクッキー」を踊ってたかもしれない。