1本の木。
過疎がすすんで住む人がいなくなりかけてる山奥の村などを「限界集落」と呼ぶが、
最近では街なかでも、住人が減少し空き家が増えている地域を「限界宅地」と呼ぶらしい。
ぼくんちの周囲でも少し駅から離れた場所は無人の家屋が目立ち、まさに限界宅地化がじわじわと始まっている。
空き家の中には比較的新しくてきれいなものも多く、外からちらっと見ただけでは無人だと気づかない物件も多い。
それがなんの前触れもなくあっという間に取り壊され、何もない更地になる。ふだん近所づきあいの少ないぼくなんかは、そうなって初めて「ああ、あの家、空き家だったんだ」と気づかされることもしばしば。見馴れていた建物がある日とつぜん消え失せる。これは軽いショックだ。
さいきん法律が変わって、所有する家屋を無人のまま放置しておくと税金がよけいにかかったりするらしい。なのでよけいに空き家の取り壊しが増えているのかもしれない。
今日、近所を歩いていてまたひとつ、あらたに家が撤去された一角を見つけた。
もうすっかり慣れっこになってはいるが、それでもやっぱりちょっと驚く。それまではまさか空き家だとは思わず、毎日のようにその家の前を行き来していたのだから。
家のあった場所は草一本ない、平らにならしたさら地になっている。
ただ、よく目にするさら地と違っていたのは、そこに木が一本、立っていたことだ。
幹もかなり太くて、どこからか若木を運んできて植えたという感じではない。きっとだいぶ以前からこの場所に根を下ろしていたものだろう。
家主だった人が、建物は撤去してもこの木だけは伐らずに残していったのだろうか。一家が住んでいた証を残すために、記念樹のように。
古い家が取り払われた場所は、それまでより見通しがよくなって、意外とすっきりした清々しい風景に見えた。
住む人が減るのは寂しいことかもしれないが、これはこれでいいんじゃないかと青空の下、誇らしげに立っている一本の木を見ながら思った。
(写真はフリー画像http://photo.hokkaido-blog.com/。本文とは関係ありません)