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I.D.C.D.02 ホワイトスネイク『フール・フォー・ユア・ラビング』 -sio_note-

テーマ▶音楽

 高校に入りたてのころ、ロックなどまだろくすっぽ聴いてなかった僕が、ひょんなことからバンドを組むことになった。

 それもバリバリのハードロックだ。やはり反抗期の真っ盛りはオトナが眉をひそめるようなタイプの音楽に惹かれるのでしょーか。

 しかもフォークギターをちょこっと弾けたぐらいで、エレキ楽器なんかほとんどさわったこともなかった。いったい何を考えていたんだ、オレ。

 リーダーだったヤツに「おまえ、ベースやって」と、いちばん地味なパートをあてがわれ(全国のベーシストさんごめんなさい)、手取り足取り教えてもらいながら、どうにか音を出していた。

 そのリーダーはリードギター担当で、ヤツの家に遊びに行き、初めてディープ・パープルというバンドのアルバムを聴かせてもらった。

 彼がレコード(当時はアナログ盤)にあわせ、なにげない顔で弾きまくる「ハイウェイ・スター」のイントロや「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のリフは、まだロックに目覚めたばかりの高校生の瞳をぐわっと開かせてしまった。ロック開眼である。

 それまで聴いていたオヤジくさいボズ・スキャッグスから、あっさりとパープル・ファミリーに乗り変えたことは言うまでもない。

 その当時、1980年代はじめごろは、ディープ・パープルはとっくに解散し、ギタリストのリッチー・ブラックモアが率いる「ブラックモアズ・レインボー」はじめ、いくつかのバンドに分裂していた。

 パープルの三代目ボーカリストだったディビッド・カバーデールはキーボードのジョン・ロード、ドラムのイアン・ペイスとともにホワイトスネイクというバンドを結成、僕が『ミドルマン』の次に買った洋楽アルバムが、彼らが1980年に発表した『フール・フォー・ユア・ラビング』です。

 ジャケットもシブいなー。ヘビーメタルと一緒くたにされがちなジャンルですが、まさに、いぶし銀のハードロック感が伝わってきます。

 では曲紹介を。

 1. フール・フォー・ユア・ラヴィング ▶1曲目から日本人好みの泣きのメロディー。わが国のホワイトスネイク人気はここから火がついた印象が。

 2. スウィート・トーカー ▶タイトでたたみこむようなR&Rナンバーです。

 3. レディ・アン・ウィリング ▶本国ではこちらの曲名がアルバム・タイトルになっております。

 4. キャリー・ユア・ロード ▶ミドルテンポの、アルバム中ではもっともリラックスして聴かせるナンバーではないでしょうか。

 5. ブラインドマン ▶パープルの「ソルジャー・オブ・フォーチュン」をほうふつとさせるスローバラード。カバーデールが切々と歌い上げます。

 6. エイント・ゴナ・クライ・ノー・モア ▶アコギで始まるイントロがさわやかアメリカンテイスト。途中からハードに。この曲もアルバムのハイライトではないかと。

 7. ラヴ・マン ▶くっさーいブルース・ナンバー。カバーデールのルーツを感じさせます。

 8. ブラック・アンド・ブルー ▶オーディエンスの拍手や歓声が入るスタジオ・ライブ。ジョン・ロードが軽快なピアノを奏でています。

 9. シーズ・ア・ウーマン ▶ラストも疾走ロックンロール。

 ホワイトスネイクはこのアルバムを発表した翌年に来日、僕も観に行きました。会場は、いまはもうない浅草国際劇場。前から5,6列目の席だったでしょうか。バンドは次作の『カム・アンド・ゲット・イット』を発表した直後で、ニューアルバムからも何曲か演ってくれました。

 当時のロック・コンサートってのはほんとにヤバい雰囲気で、終演後、会場が明るくなったら、客席のぼろっちい椅子がふたつ、無残に破壊されていました。

 僕らの高校生バンドは2,3回セッションしただけであっけなく解散、僕の一流ベーシストの夢もとうとう実現しませんでしたとさ。

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