blog-chronicle〈ブロニクル〉

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一度住むと抜け出せなくなる呪われた沿線?~三善里沙子『中央線の呪い』

東京下町から北関東にかけてをウロウロしながら人生の大部分を過ごしてきてきた自分にとり、東京の西側というのはどこか縁遠い土地だった。

 

高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、吉祥寺といったカルトな街が並ぶ中央線沿線。古本、古着、雑貨などこだわりの店が集まり、むかしから太宰治井伏鱒二など文化人も多く、カルチャーの香りと物価の安さ(?)に魅かれてマンガ家、演劇人、ロッカー、フーテンが集まる街。コーヒーやラーメンなど庶民の味にこだわってツウをうならせる街…。

 

年に数回、芝居やライブを見に行く程度ではしょせん外部の人間、観光客と同じ。中央線文化の上澄みをすくっているだけで真髄に触れることはできはしないでしょう。本書「中央線の呪い」はそんな中央線ガイドの役割をしながら、80年代に盛んになった都市論の流れをくむ一冊です。都市論といってもカタいほうじゃなく、泉麻人氏などが始めた東京都内の地域格差ゲームの延長線上といえばいいでしょうか。

 

著者は中央線沿線の住人を「マルチュー」と呼び、一見バカにしているようですが、そのまなざしには愛情が感じられます。おそらく本人も元マルチューだからでしょう。愛憎半ばするというか同族嫌悪というやつか。

 

「マルチューは西の下町にほかならない」という箇所もあり、なかなか的をえた指摘だと思いました。僕のような「東側の人間」にも中央線の街がどこか親しみをもって感じられるのもそのせいでしょう。

 

1980年代後半のバブルは歴史ある商店街を次々とツブし、安いベンツが並ぶ立体駐車場や窮屈で住みにくそうなデザイナーズマンションがひしめく、小奇麗ではあるがどこか無味乾燥な風景へと変えていきました。中央線沿線やそこに住む人々は、それらバブルのアンチテーゼでありカウンターカルチャーなのだ的に見られています。

 

だけどそんなマルチューの人々にも、心の底にバブリイなものへのあこがれがなかったわけではなく、そうした屈折した心情を著者はブログ的な小ネタですくいあげていってやたらおかしい。同じ中央線内の街でも外からでは分からない等級があるとかないとか。ま、あくまでシャレですから目クジラたてて「あの街がエライ」「いやこの街のほうが上だ」みたいにライバル意識を燃やすのは控えたいもんです。

 

バブルがはじけたことで古着やアジアン雑貨などの中央線的アイテムも、本書が書かれた当時から比べると市民権を獲得してるようです。中央線沿線は呪われているのではなく、むしろ祝福されているのかも。

 

 

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