クサイ復活(2)
かつてはクサイと嫌悪された、ストレートに熱さを表現する物語が、
最近ではまた好意的に迎えられているように感じる。
時代の潮流がひとまわりして、ふたたび元へ戻ってしまったようにも見えるが、
以前嫌われていた「クサイ」と現在ウケている「クサイ」では、微妙な質の違いを感じる。
前者が100%純粋な、疑念の余地のない「本気のクサさ」なら後者は「演じられているクサさ」で、
クサイ自分を客観視している冷静な視線が感じられる。
「これはクサいふりをしてるだけなんですよ」とエクスキューズを入れることで、
見る側も、本当にクサいものを押しつけられて不愉快な思いをすることがなくてすむ。
なのでクサいものでも抵抗なく楽しむことが可能となる。
最近の例でいえば芦田愛菜がむかしのハナマルキのCMを真似て、
「おかーさーん」とやったあとに「なんてね」と素を出してみせる、あの感じ?
「芦田愛菜が純真無垢な子どもであるはずがない」という、世間の芦田愛菜観を利用したうまいCMづくりであった。
ジャニーズ系がバラエティのコントで積極的にイロモノやヨゴレを務めたり、
逆にイロモノ芸人がジャニーズ風のいでたちをして、人気が出るとすぐにシリアスドラマなどの仕事にいきたがるのも
「オレは馬鹿なことやってるけど、ほんとはカッコいいし教養もあるもんね」という意識があるからだし、見る側も同じ意識を共有しているからであろう。
…なんてね。。
というわけでカノッサぶった文章、もう少し続きます。