クサイ復活(3)
感動的なストーリーにやたらアツい熱血主人公など、
さいきん復活のきざしがみえる「クサさ」だが、
ではなぜ80年代、あれほど「クサい」が嫌悪されたのか?
それは当時、現実の世の中や人々の暮らしがクサイもので満ち溢れていたからだろう。
ひたすらオシャレを目指す80年代のヤングには、そのクササが耐えられず、洗練されたものしか受け入れようとしなかった。
時は流れて現在。無臭、消臭、抗菌、防菌が進行し、
世の中は清潔に、人間も無色透明、無個性化が進んだ。
しかし、それではやはり面白みがない。納豆だってチーズだってあのクサさがおいしいのではないか。
人々は、かつてよりも洗練された生活を送っているという気持ちの余裕から、ためらわずに「適度なクサさ」を求めるようになり、
そこそこ洗練された人間が意図的にクサさを演じるようになった。
だから現在ヒットしている、アツさをストレートに表現するドラマや映画は「泥臭かった時代」のイミテーションだともいえる。
まあ勝手にカノッサ風のエンタメ史をねつ造してしまいましたが、
こうした時代背景を知らない21世紀の少年少女たちは、
演じられるアツさをそのまま受け入れてしまい、
やがては100%コテコテのクサいドラマがふたたび現われるかもしれない。ああ、歴史は繰り返す。
クサいものを毛嫌いした80年代育ちの僕には少し抵抗あるんですけどね…。