少数異見・引きこもりはゼイタクか!?
昨日(6/30)の読売新聞の人生案内は引きこもりに悩む家族からの相談だった。
40代になる弟が仕事もせず家の中で暴れ、金をせびっては、ネット通販で買ったアダルトDVDばかり見ているという。もちろんただ「見ている」だけじゃないと思うけど。
母親は暴力を奮われ、父親は無関心で見て見ぬふりというのもよくあるパターンだ。
引きこもりも長期化すると親の老後の問題にも関わってくる。もはや若者にかぎった悩みじゃない。
その昔、某ニュース番組内で「引きこもりはゼイタク病」だと発言し、それが原因で(たぶん)レギュラーを降ろされたコメンテーターがいた。
もちろん家から出たくても出られない人が多数存在するので、すべてが甘えやゼイタクで引きこもっていると断罪するのは行き過ぎだが、
少数意見を力で排除してしまうのはファシズムだ。
コメンテーターが社会的に抹殺されたことでも分かるように、世間の人々の多くは引きこもりを擁護する側に属しているようだが、
おそらくその中のかなりの数の人々は「引きこもり? いいんじゃないのー別にぃ、本人の勝手だしぃ」というスタンスで、
それって実は引きこもりを心から応援しているわけじゃなく、冷徹に突き放しているのではないだろうか。
僕自身、似たような時期を過ごした経験があり、現在も親戚にそのような生活を続けている人間がいるという立場のうえで、あえて言わせてもらう。
「ケース・バイ・ケースではあるが(ある種の)引きこもりはゼイタク病だ!」
引きこもりを可能にする環境は、やはり「恵まれた環境」と言わざるをえない。なんたって食うに困ることはない。家に閉じこもっていてもほとんどがTVやネットでヴァーチャルに世の中とつながっているだろうし。
正直な話、引きこもり生活を送ってみたいなとたまに思ったりするんだよね。本人が悩んでなければ、意外にいい暮らしかもしれない。
僕が懸念しているのは、引きこもり本人よりもむしろそれを取り巻く社会のほうで、
世の中の人のほとんどは、なんといっても忙しい。自宅から出ようとしない人のことまで気にしているヒマや心の余裕なんかない。悲しいことに。
多くを占める引きこもり容認派も、さっき書いたみたいに「引きこもりも本人の自由だから~」的な物言いをして、しばしば問題から目を反らしてしまう。自分の生活に精いっぱいで、家から出られない人がいるなんてことは、ふだん忘れて暮らしている。
世間の忘却が引きこもりを長期化させる。引きこもりはまさに酒鬼薔薇のいう「透明な存在」、白人社会において無視され続ける黒人=「見えない人間」となってしまう。
「引きこもりの人は外へ出られるきっかけを待っている」って言う人もよくいるけど、う~ん、来やしないでしょ、そんなきっかけ。いつまでたっても。だからこそ引きこもりが長びいてしまうわけで。
自分から動き出すしかないんだよ。誰かが温かい救いの手を差しのべるなんて期待しちゃいけないんだ。
両親も医者も、誰の力もあてにならないんよ。自分を救うのは最後は自分しかいないんだよ。
引きこもりから抜け出したいなら、ゼイタク病なんていわれたくないなら、自分が何とかするしかないと思います。そうでなければ、状況はいつまでたっても変わらないでしょう。
僕個人は、かくべつ引きこもりの人に立ち直ってもらおうとか考えてるわけじゃなくて、ここには自分の考えを書いただけです。誤解や偏見もいっぱいあると思います。
何度も書くようだが、世の中の人のほとんどは自分の生活に手一杯で、外へ出てこない人のことまでかまっていられない。そう、引きこもりって世の中から忘れられやすいんだよね。
そんなヒッキー君をいちばん気にかけているのは、やはり身近な家族なんじゃないかな。なんたって「引きこもる」というゼイタク(失礼)を許し、食べさせてくれてるんだから。
何よりも自分のため、そして身近な人のために引きこもりから脱出してください。あー、結局、応援になっちまったよ。