家を失うということ、家があるということ
前回のエントリから約半年ぶりの「続編」だw 内容的にはつながっている(つもり)です。
さて、昨日の午後テレビで「家を失う」と題した番組を見た。
ローンが払えないなどの事情で住みかを追われそうになっている人たちを取材したドキュメンタリーで、
年老いた両親の家のローンを肩代わりして払い続けている息子や、
電話セールスでマンションを購入したものの、うつ病で会社を辞め、収入が激減してしまった一家の主など、まさに人生いろいろだ。
前回のエントリで書いたように、自分の住んでいる家の現状について、いろいろとどうでもいいような不満を抱いている僕だが、
それでもこの番組で取り上げられた人たちに較べればじゅうぶん恵まれた部類なのだろう。
だが、ときどき思うのだが、
恵まれた境遇というのは、逆に本人の努力する機会を奪う結果となってしまうのではないだろうか。
20代のはじめごろ、実家を出て独り暮らしをしていたが、
体調を崩して働けなくなるなど諸般の事情で実家へ戻ってしまい、
以降はだらだらとぬる~い人生を送ってきた。
もしあのまま、しんどいながらも東京で四畳半のアパート暮らしを続けていたら、
いまよりはまともな「社会人」になれてたかもしれん。
いや、きっと精神も肉体も今よりずっと荒廃してた可能性の方が強い。ヘタしたら早死にしてたかも。
まあそんなふうに考えて、実家に戻って以降のぱっとしない日々をある程度は肯定するしかないんじゃなかろーか。
物事にはウラと表の両面がある。100%クロかシロかなんてありえない。
そんな相対主義を言いわけにしながら、このグレイな日常を続けていくしかない。今後もしばらくは。