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駆け足でたどる都市と郊外の変貌 ~樋口忠彦著『郊外の風景・江戸から東京へ』(江戸東京ライブラリー)

江戸から明治維新、大正末の大震災を経て昭和初期にいたる時期の、郊外がスプロールしていく過程を、文学の古典や当時模索された都市政策の中に追った1冊(教育出版刊)。

まずは『江戸東京花暦』から当時の人々の生活を紹介。インターネットもTVもなかった江戸時代の人々には、月を眺めたり雪景色を観たりすることも立派に一つの娯楽だったんだな。春になればもちろん隅田川沿いでお花見したりして。まさに雪月花だ。

ここで東京の地形というやつが重要な意味をもってくる。お月見に適した場所というのは、月がのぼってくる東の方角に見晴らしの良い平坦な土地が広がっていてなおかつ小高い場所がよろしい。つまり上野のお山だとか、台地のへりに位置している湯島や日暮里らへんがお月見の名所になったというわけだ。

いまでは高いビルが林立してちょっと想像がつきにくいが、谷中あたりの小高い場所は眺望が開けてたんだなあ。東京という街を見る目が少し変わりそうだ。

雪や月や花を愛でた江戸時代の人々の暮らし。しかし人口増に伴いその風流さは市中からしだいに郊外へ追いやられていく。アメーバのように無軌道に膨張していく都市(=ベッドタウン)。幸田露伴は当時の東京の様子を目の当たりにし、「都会は都会らしく、郊外は郊外らしく、きっちりと隔てるべきだ」と提言したそうだ。大規模な都市開発も計画され、東京はその姿を大きく変貌させていく。

先の露伴はまた「誰しも都会に住みたい欲求と田舎に住みたい欲求を持っており、できればその両方を実現させたがっている」と大衆の欲望を喝破した。

それに付け加えさせてもらうなら、人々にはたんに自然への憧れだけじゃなく、「自分たちだけの家を持ちたい」ってのもあったんじゃないだろうか。

ちょっと天の邪鬼的な見方だが、郊外に移り住んだ人々はけして自然の中で脱文明の生活をしたかったわけじゃない。だからこそ新たな地にも都会と同等の利便さや娯楽をもとめたわけで。

さらに時代を下れば、戦後の東京には地方から大量の集団就職者が流入した。彼らが故郷と大家族を捨て都会をめざした背景には、地方の貧しさだけでなく、かつてのムラ社会の封建的な家父長制への嫌悪もあったろう。

都会に上京した人々は、仕事が軌道に乗り家族を持つと、故郷に戻ることはなくふたたび郊外に家を買い、ここに都市→郊外のサイクルは完成する。

くわえて「家族」を「消費者」としかみなしていない企業が、ニューファミリー(核家族)とやらの魅力をさかんにPRする。ここに未曾有の高度経済成長が始まった・・・。

江戸から東京へ。それは人々のマインドとライフスタイルが「風流」から「消費」へとシフトしていく過程でもあったのだろうか。

現代は少子高齢化を本格的に迎え、東京を取り巻く首都圏でも今後消滅する自治体が出てくるのではと懸念されている。むやみやたらと豊かさをもとめたしっぺ返しのような気もする・・・

 

 

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