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【シオ・ノート】個人的映画鑑賞ヒストリー③80年代後半~名画座めぐりからレンタルビデオへ  -sio_note-

【テーマ・映画】

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 80年代後半は僕も社会人となり、東京を中心に働き始めた時期です。

 都内は地元のサイタマとちがい、映画館がたくさんありました。

 なかでも二本立てで格安で見られる名画座がどこにでもあって、一時期熱心に通っていました。

 大林宜彦監督の初期尾道三部作の一挙三本立てや、『遠雷』、『さらば愛しき台地』など日本映画の秀作、マニアだけが好みそうなB級C級作品まで、雑誌「ぴあ」を片手に、面白そうな映画を探して東京じゅう歩きまわった覚えがあります。当時の典型的な映画青年のスタイルですね。

 よく通ったのは飯田橋の佳作座やギンレイホール。ほかにも電車の走る音が上映中の館内まで響いてくる新橋のガード下の劇場とか、終戦直後の雰囲気が建物全体に漂っている浅草六区の映画館――これらのほとんどが今ではなくなってしまったか、改装されてかつての姿はないでしょう。

 公開当時は話題にならなかったものの、名画座で何度か上映されるうちに口コミでしだいにカルト的人気を獲得していく作品もありました。2017年に続編が公開された『ブレードランナー』など、その好例でしょう。

 名画座の灯が消えていったのは、レンタルビデオの普及が原因のひとつともいわれています。

 80年代はじめあたりからぼちぼち姿をあらわしたビデオやレーザー・ディスク。劇場公開時しか観ることができなかった作品を手元に所有できるというのは、当時の僕らには衝撃的でした。

 社会に出て2年目か3年目あたり、僕もようやく念願のビデオデッキを手に入れました。これで好きな時に好きな映画を借りて見れる、留守中にTVで放送された作品も録画で見れる、と嬉しかった記憶があります。オリジナルビデオなどは高価でとても手が出ませんでしたが、街のあちこちの小さなレンタルビデオショップでソフトを借りました。まだツタヤもいまほど一般的でなかった80年代終わりごろの話です。

 90年代以降は現実の生活のほうが忙しくなったせいか、以前よりも映画を観て感動したり人生変わってしまうような経験は少なくなりました。ビデオとかって基本、自宅でTV画面を眺めてるスタイルですので、経験としてあまり印象に残らないのかもしれませんね。

 高尚な芸術映画とは無縁でしたが、やはり70~80年代あたりの映画作品が自分のルーツになっているのではと思います。

 

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