カネの切れ目は縁の切れ目?
趣味らしい趣味もなく、定年後はほとんど家族以外の人と
接触もなくなってしまったうちのオヤジだが
彼の唯一の趣味といえるのが、近くにある「道の駅」への買い物である。
毎日判で押したように車で出かけていき、特産物売り場で地元産の野菜を買ってくる。
少ない年金収入でできるささやかなぜいたくなので
認知症予防のためにもどんどんやっていただきたいと息子的には思っている。
さて、うちのお袋は趣味の教室などをやっている関係で
オヤジとは対照的にけっこう顔が広い。
近所にも知人が多く、その方たちが僕ら一家の生計を案じてか
ひんぱんに我が家へ「おすそ分け」をしてくださる。
地元なので農家の方が多いのか、自宅でとれた野菜などを持ってきていただき、
おかげで我が家はどうにか生きながらえている。ありがたいことだ。
そんなふうに母の人脈のおかげで無料で届く野菜類を
オヤジはわざわざカネを出して買ってこなければならない。
彼はお金の力なしには何も手に入らないどころか、世の中との接点すら全く失ってしまうわけだ。
厳密にいえば母の頂きものも、趣味の教室という経済活動の結果ではあるんだけど。
オヤジが買ってきたものがお袋の頂きものとダブってしまい、無駄な買い物になってしまうこともよくあるようだ。しかもお袋に言わせれば売りに出ている野菜はあまり質がよくないらしい(やべー営業妨害だ)。
人間関係の貧しい者ほど世間とつながるためにおカネが必要になり、
同時にそれはカネがなければ他者との縁がたちどころに切れてしまうことも意味している。
とか言っているこの自分も、人間関係をカネで買っている部分がないとはいえないけどね…