カクテル・パーティの孤独。
とある講座の取材に行ったら、そこはいくつかのグループが別々に討論しあうというスタイルだった。
で、いざ討論が始まると、それぞれのグループがてんでばらばらなことを同時に話し始め、耳の悪い僕は困ったことに個々の話がほとんど聞き分けられなくなった。
断片的な単語をどうにか聞きとるのがやっと。会場全体にわ~~んと音のかたまりが反響して、まるで混雑してる飲み屋かファミレスの店内のようだ。
話の内容などとても把握できず、「参加者のみなさん、よく相手のしゃべる言葉が聞きとれるな~」と感心するばかりだった。
ま、そんな感じなので飲み会なども基本的に苦手だ。
とくに大人数のグループがいくつかに分かれて別々の話の輪ができてしまい、
それぞれにバラバラな話が始まると、どのグループにも加われずポツンと一人孤立してしまっている自分がいたりする。
きっとこれまでの人生も、こんなふうに大切な話や貴重な情報を聞き逃してきたんだろうなーと思うとミジメな気分になってくる。
飲み会の場合は話の内容がつかめなくてもてきとうにあいづちを打ってればいいが、
取材して記事にまとめるとなるとそういうわけにもいかない。
ま、自分の人生がうまくいかなかったのを耳が悪いせいにばかりするわけじゃないけどね。
カクテル・パーティ効果という言葉があって、パーティのようなにぎやかな場所でも、自分の話してる相手の声はなぜかきちんと聞きとれることをいうそうだ。
そういう機能が自分の耳の場合ぶっこわれてるのかもしれないと思ってたが、
ネットで調べたらカクテル・パーティ効果というのは聴力とは関係なく、脳の中の聴覚を司る部分に関係してるんだそうだ。てことはオレの場合、アタマの問題ってわけか…。
取材を終え、にぎやかな討論会場を抜け出してファミレスでホッとしてたら、隣りの席におばさん二人組。
一人が自分の身の上話をせつせつと語っている。長年にわたる酒とカラオケで枯らしたような、シブくドスのきいた声で。
こういう聞きたくもない話にかぎって、一部始終まではっきり聞こえたりするんだよね~…。、