blog-chronicle〈ブロニクル〉

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怒涛の江戸川乱歩リスペクト②~昭和の逢魔が時、子供たちが出会ったものは・・・

 「ぼくはきのうの夕がた、おそろしいものを見たんだよ」~少年探偵団シリーズ「灰色の巨人」より


 少年探偵団の舞台となったころの東京の街は、たそがれ時を迎えればきっといまよりも暗く、さびしい風景であったろう。

 この世のものではない異形の怪人、怪物が姿を見せるのはそうした夕方から夜にかけて、まさに魔界の門が開く逢魔が時である。

 薄暗い街灯がぽつりぽつりと立っているだけの路地、深い神社の森、大きな洋館の影。少し市街地をはずれれば郊外にはまだ住宅も少なく、荒涼とした景色が広がっていたに違いない。


「そのへんは、さびしいやしきまちで、高いへいばかりがつづいています。人どおりもまったくありません。町のところどころに立っている街燈の光が、あたりをぼんやりと、てらしているばかりです」~「灰色の巨人」より


 少年探偵団シリーズには「洋館」がよく登場し、たいていそこに住んでいるのは「お金持ちのえらい人」だったりする。典型的な日本家屋に住んでる庶民のガキだった僕は、この「洋館」というやつに憧れたものだった(笑)。

 その頃の子供たちは夕暮れが近づくと、遊びもそこそこに家路を急ぐ。あたたかい明かりの灯った玄関をくぐり、夕餉のしたくをするお袋の背中を見てほっとするのである。お袋が着てるのはもちろん白い割烹着ね。ああ、昭和のよき時代。

 さて、今はどうだろう。少し薄暗くなればあちらこちらでLEDの鮮明な光が路上を照らし、コンビニの電光看板が数十メートルおきに並んでいる。

 子どもたちはべつに帰宅を急がなくとも、買い食いでおなかを満たせるようになった。帰ってみたところで両親は共働きで夜遅くまで不在、茶の間は真っ暗。そんな家に早く帰りたいとは思わないだろう。ゲーセンに寄り道して時間をつぶす。

 夜とはいえ真昼のように明るい盛り場。行きかう人々。にぎやかな音楽。若い女性もむかしに較べれば安心して一人歩きできるようになった。

 でも暗闇を可能な限り追い払うことははたして正しいのだろうか?

 子どものころ、夜の闇がやたらこわかったのは僕だけじゃないだろう。闇への恐怖心は想像力をはぐくむのではないか。

 僕らは映画館の闇に身をひそめ、スクリーンにイマジネーションをふくらませる。ホラー・ムービーだって明るい部屋でみたら恐怖も半減だろう。 

 谷崎潤一郎が礼賛した「陰影」を今の社会は排除しつつある。心の闇も嫌悪され、「ないもの」にされている。でもそれって誰もがひそかに抱えてるだろう。隠ぺいするから出口を失い膨れ上がって、犯罪という形で爆発してしまうんだ。

 闇が失われた現代では子供たちの心に想像力も育たないのでは。少年探偵団から話がずれてしまったが、当時の少年たちがあの作品に夢中になったのもそんな「闇のもつ魔力」ではないだろうか。

 

 

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