blog-chronicle〈ブロニクル〉

あちこちのブログ、HPに書きちらかしたエントリを一本化。

3/30「マックで情景描写」

 午前中、洋間整理など精力的に動いても、午後まで集中力やエネルギーがもたない。昼メシ食ったあとひと眠り。まあそのへんはいつものことで想定内。とりあえず原稿書きに近所の図書館へ。そのまま家にいてもよかったんだが。以前は終日家にいるなんてありえなかったんだけどな。昔にくらべ家の居心地が悪くなくなったのかもしれない。

 図書館はパソコンのキーボードをたたく連中が並んでて集中しにくい。まあ俺もその一人だが。向かいのやつが無意味にマウスをカチカチ鳴らし続ける。ときどきでかい声でくしゃみする。声をださないでしろよ。そんなツッコミを心の中で入れながら何食わぬ顔でPCをたたき続けるのはひどくくたびれる。

 外出したって原稿書いてるだけだから楽しくもない。帰宅する途中、国道沿いのマックへ寄る。真横からななめにさしこんでくる西日。向かいのテーブルで座席に寝転がってスマホやってる14,5歳ぐらいの女の子。春休みデビューみたいなヒラヒラした格好だ。となりの席に男子高生グループが来ると急いで起き上がり、席に座りなおした。

 俺のひとつおいて隣の席に一人客のじいさん。この店の中ではたぶん俺もこのじいさんと同じ位置づけだ。もう生きててもたいしていいこともない地味な中高年というところだろう。

 女の子たちが出ていったあとに母子連れが座る。若い母親はさっきいた女の子たちとたいして変わらない服装だ。まったくオチのない郊外の日常風景。こんなものを仔細に書きとめて何になる。ここから何か小説的なものが起ち上がってくるのか。自分の日常をありのままに書けば何か小説らしいものになるのか。

 3枚小説、20日ほど続けて時々さぼりながら10本ほど書いたが、まだ何か見えてきた感じはない。小説にはなっていない。私小説としてはOKかもしれない。私小説のよい読み手ではないのでわからない。

 さしてオチも重視しないスケッチ風の小説もあるにはある。昔の片岡義男とか。角川文庫の戦略もあってけっこう売れてたわりに意味がないともいわれていた。ああいったタイプの小説はけっこう視覚に訴える要素も強い。映像的記述も小説にとって重要な一部だ。保坂和志も情景を書けといっていた。練習してみよう。

 目の前、広告でいっぱいのシートを1枚敷いたトレイの上、斜めにストローをさした透明カップの底の溶けた氷の水にはコーヒーで薄く色がついている。ひねるようにフタがねじ開けられたがっむシロップとポーションの容器。アップルパイの殻、まるめたレシート、そんなものを詳細に書き込んで小説になるのか。小説の一部を形づくるパーツにはなるかもしれない。いずれにしてもヒマで物好きな人間のすることだ。