記事にできなかった話。
仕事でとある方の講演を聞いた。
その方は十代の性問題についてくわしく、
かつてテレビの「金八先生」で上戸彩が性同一性障害の生徒の役をやったとき、
そのストーリーづくりにも協力したそうだが
はじめの脚本では、あの女生徒はオランダの学校へ留学してしまうという筋書きになっていたという。
だがその方はその展開に断固反対し、彼女を国内の普通の中学へ入学させるよう番組スタッフを説得したという。
というのは、ドラマを見ているのはほとんどが中高生で、
中には上戸彩が演じたのと同じ性同一性に悩む少年少女もいるだろう。
ドラマで女生徒がオランダの学校へ行ってしまったら、見ている彼ら彼女らは
「やはり自分たちは日本の社会では生きてゆけないのか」と思ってしまいかねない。
なのであくまで国内の学校進学にこだわったということであったが、
メディアで創作に携わる人間はそこまで配慮しなければならないのだなと、あらためてその責任の大きさを感じさせられた。
僕もちょとばかり趣味で創作をやっているが、
「ここで主人公を外国に行かせるとストーリーが華やかになるだろう」とか、
つい安易な気持ちで話をつくってしまいがちだ。
自分が創作を楽しむだけでなく、それに触れる人間のことも考えなければならない。
差別問題にしても単に差別語を使わなければいいというのではなく
作品自体がどのような差別意識を含んでいるかまで考えに入れることが大切なようだ。
まあそれを気にしすぎたら、創作なんて簡単にできなくなるけれど。
個人的には非常に印象に残る話であったが、
残念ながら仕事で書く記事とはテーマが違うので使えないんだよな。なのでここに書きました。