blog-chronicle〈ブロニクル〉

あちこちのブログ、HPに書きちらかしたエントリを一本化。

日記と小説のあいだ

 土曜日曜は怒涛のごとく過ぎた。続く月、火であと始末をすませ、ようやく落ち着いた感じの水曜。まだやるべきことはいくつか残っているが。

 1日3枚小説も2日ほど休んでしまった。もっとも1日休んだら次の日は6枚書けばいいみたいなルールもアリだ。かんじんなのは小説と向き合う精神状態をつくりだすこと。いくら時間があっても気持ちが小説モードになってなければロクなものは書けない。

 この1日3枚小説も今までの日記と差別化がはかりづらい」が、どこがどうとは明らかにっ指摘できないが、日記とはちがう感触が書いていて、ある。

 日記もこの小説も題材は自分の現実からとっているのだが、日記が単なる行動記録になりかけている反面、この「小説」はもう少し深いところまで書き込めている。意識してかき分けているのではなく自然と視座が変わってくる。

 ではどんな視座なのか。いま思いついたが、この日常をひとつの「物語」として見ようとする視座だ。もちろん安易な物語仕立てにすることは避けるべきだ。だが1日の出来事をとりとめなく(ストーリー性なく)書いてみたらそれは日記同然のものになってしまうだろう。日記と(自分の現実を下敷きにした)小説、その違いについてうまく言い表せないが、両者の差は自分の中で少しづつ開き始めている気がする。

 書くネタは毎日それなりに、ある。ちょっとふくらませればブログぐらいにはなりそうなネタが。(ここで少し仮眠。目が覚めた)

 ひと眠りして目が覚めた。もう明け方だ。今日、明日とちょっと忙しい。チキ取材が多く31日までに4本いれなきゃならない。こんなことの繰り返しじゃいつまでたっても小説なんか書けないな。「ナイトワークス」がんばって書いていたのが遠い昔のことのようだ。米光講座が終われば再開できるだろう。たぶん講座終わっても何ひとつ変わっていないだろうなこの毎日は。いくら自分が変化し、それまでより多少ステップアップしても周囲が変わらないのでは仕方ない。性懲りもなく新しいことに手を出すんだろうけどな。自分の居場所をもとめて。時間も残り少なくなってきているのに。ゼロと1の繰り返し。それが俺の人生だった。あるいは期待して肩すかしをくい。上をめざして蹴落とされて。まあ以前のように自分の現状を完全否定してはいないが。この状況を妥協しつつ受け入れてきてしまったのはほかならぬ自分なのだから。はたから見ればお前、自分で選んだライフスタイルだろ、それで満足してるんだろって言われそうだ。まあ現状だっていいことがないわけでもない。俺のまわりにも面白い人間や面白いことが始まりそうな動きはいっぱいある。問題はそれに加担しても結局自分は単なる追随者だったり傍観者的役割しか与えられない可能性が大きいってことだ。これはきっと自分の性格によるものだろう。まあ自分を変えるためにもいろいろ手を出しているんだけどね。