blog-chronicle〈ブロニクル〉

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たまには愛について真剣に考えよう 〜福田恒存『私の恋愛教室』(ちくま文庫)

近頃多いものに幼児虐待があります。「いったい子どもを愛していないのか!」と怒りを感じる方も多いでしょう。いまの世の中狂ってる、と。

だけどこれは現代社会の病理なんかじゃない可能性もある。そもそも「親の愛」ってほんとに存在するんだろうか。

「愛」なんて観念は西洋から輸入されたもの。もともと日本にはなかったものだとはよく聞く話だ。本書でも著者の福田恆存がそう指摘している。

なるほど。だから貧しい寒村では平気で(平気じゃないかもしれないけど)生まれたばかりの赤ん坊を間引きしたりしてたのか。そんな結論はちょっと乱暴かもしれないが。

文明開化とともに「愛」が西洋から運び込まれた明治時代、それまではおおらかに「野合」を楽しんだり、村の若者が人妻に「夜ばい」をかけたり、はたまた「妾」を囲って自分の甲斐性を誇ったり、好き放題やっていた日本人は、「愛」という新奇な観念をどう取り扱えばいいか頭を悩ませることになった。

海の向こうから「愛」がやってきたおかげで男女関係はややこしくなり、鴎外や露伴、北村透谷らの文学の主要なテーマともなった。本書でも精神的な恋愛がどういうものか分からない当時の日本人の恋愛観を皮肉った二葉亭四迷の作品の一節が紹介される。

その滑稽な恋愛模様を読むと「しょせん僕ら日本人は恋愛になんか向いてなかったってわけだ、肉体的にも精神的にも」とヒクツになってしまいます。

まあ最近では若者たちのルックスもよくなり、社会のモラルもゆるんで昔の僕らより恋愛のハードルが低くなったみたいだ。だからって「いい恋愛」ができるかどうかはまた別問題だと思うんだけど。

またD.H.ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』は、翻訳された当初わいせつか否かで裁判沙汰にまでなったが、原作者の本当の意図は性の解放などではなく、むしろその反対だったと著者は言っている。実はロレンスは性的規範については非常に厳しかったのだと。そのくだりを読んで思わず自分の少年時代の体験を思い出した。

当時、見知らぬ土地へ引っ越してきた僕は、地元の子どもたちの仲間に加わるとき、エッチな話題をするとやたらウケがいいことに気づいた。

それからは皆に溶け込もうと意識的にシモネタばかり披露するようになってしまい、みんなのあいだで僕は病的なエロ大好き人間という評判がたってしまった。ご、誤解だあっっと今でもたまに叫びたくなる。

そんな自分がいま気になるのは、エロ男爵の異名で有名な某男優だ。彼は本当にエロ好きなのか、それともエロ好きイメージで人気が出たために不本意ながらそれをキープし続けているのではないかと・・・

なんだか話があちこちとんでしまったな。それだけ愛とは深くて広いテーマなのかもしれません。

というわけで愛について教えを乞いたければ本書『私の恋愛教室』を。もともと女性獄舎を意識しているのか文体もやさしいです。なにぶん昔の本なので(元版は1959年発行)著者の考え方もやや保守的な部分がないではないですが、若い女性の身を気遣うデリカシーが感じられてこれもなかなかいいもんです・・・。

 

 

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