平凡な幸せ。
3月11日。
これってたいしたこともできなかった1日だった。
まあコロナも猛威をふるってるし、9年前に東日本大震災が発生した日でもあるので、今日はじみーーに、平凡な幸せというやつに感謝して一日を過ごした方がいいだろう。ガラじゃないけど。
平凡な幸せ、ケッ‥‥というタイプの人間ではあったが、年をとったせいか、この日常に対して少しは肯定的に受け取れるようになったみたいだ。
テレビも新聞も、3.11関連の話題でもちきりだ。こんなのも今日1日だけだろう。あの日を忘れない、とか。そんなのギマンじゃん、て。
などと思いつつ、自分も定期的に原稿を書いてる某サイトさんに震災をネタに一本書いてしまった。しかも、昔書いた文章の焼き直し。
ま、忘れちゃいけないこともあるよな。何度でも繰り返さなきゃいけないことだってあるよな。マンネリとか言われようと。
はたしてこの日常の平凡さ、退屈さ、何も起こらなさはイコール幸せ、ととらえてしまっていいものだろうか。
そりゃ大災害で死んだり全財産を失ったり、疫病にかかって苦しむよりは全然マシかもしれないけどさ。
この日常に安住していていいものなのか。
何もしないうちに、何も起きないうちにこの人生終わってしまいそうだ。
ま、行動する準備はいつだってできてる。
行動しても成果がなく、無為に終わることが多いんだけど‥‥。