ボツ原稿の冷却期間。
「真夜中に書いたラブレターは、送る前にもう一度読み直せ」みたいな格言(?)があるが、
イキオイに乗って書いたものは、醒めてみると恥ずかしくて、とても人サマに見せられたもんじゃないという戒めである。
公私に渡りけっこう文章を書き馴れてしまい、自分の書いたものをあとから読んで思わず赤面、PC上から消去してしまうようなウブさはすっかり失くしてしまった自分であるが、
それでもブログ一本書くときすら、手書きでの下書きは欠かさない方だ。
直接打ち込んでそのままアップロードなんて、こわくてとてもできまへん。
そんな感じでPC内には書きかけのままになってしまったネタがけっこう保存されている。
貧乏性なのでせっかく書いたものは使わなけりゃと、たまーに思い出したようにUPしてるが、
何だか時期はずれだし鮮度は落ちてるしで、別の意味で赤面モノだ。
だいたいほぼ完成してるのにすぐに発表しなかった文章って、それなりの理由があるわけで、
自分で読み返してみても、何か三割ぐらい足りないような気がする。分量の問題ではなく。
で、こういう文章は、ほっとけばいずれ何かがプラスアルファされてめでたく使いものになるだろうと、しばらくPC内で凍結しておくわけだが、
鮮度は落ちる一方で、そのままオクラ入りとなるものが圧倒的だ。
これじゃいかん、とジクジたる思いでいたが、
社会学者、内田樹氏のツィッターを拝見していたら、
随所に「原稿を塩漬け云々」という記述があり、
ああこんな偉い先生さえ、書いたものを公にする前にはしばらく冷却期間をおくんだなと、少し安心した。
インターネットが広まってから、情報は少しでも早く届けられることが絶対的正義のようになってしまった。
しかしそれは誤報やデマを生む原因にもなるし、
何よりも少し時間をおくことで、そのテーマについて考えも深められる気がする。
しばらくツィッターに手を出さなかったのは、そんな理由によるものだが、このところ遅まきながらツィートに目ざめてしまった。
どうでもいいことをつぶやきながら「このツィートをもうひとひねり、ふたひねりすればブロネタ一本仕上がりそうなのになー」と思うこともしばしばで、
つぶやきをいくつかまとめてブログの記事にできないかと調子のいいことを構想している。
要するにツィッターはアイデア帳、ネタ帳がわりというわけで。そういう利用法をしてる人も多いようだ。
ツィッターとブログの関係は、依然としてまだ自分の中では答えが見つかってない状況です。