blog-chronicle〈ブロニクル〉

あちこちのブログ、HPに書きちらかしたエントリを一本化。

1. エクササイズ

 保坂和志の本に1日3枚ずつ書くとあった。

 村上春樹も書くことがなくても毎日机に向かうと言っていた。

 ストーリーも決めず、オチも考えなければできそうではないか。

 1回で完結か、書き継いで長編になるかどうかはわからない。

 1日3枚。1年続ければ約1000枚。ゆうに長編2冊分の量になる。それだけ書けばかなりの実力がつくだろう。

 ただし日記と大差ないものになりそうだ。小説を意識して書いたほうがよいのだろうけど。

 保坂和志の本には「小説を書くとき“小説モード”になるな」とあった。ふだん喋るように書けと。

 文体はそれでいくとしても内容はどうしよう。ストーリーもオチもないにしても題材は必要だろう。

 当初は現実の生活から拾ってくことになるかもしれない。しかしあくまでフィクションだ。書き続けることで何かが見えてくるかもしれない。それが保坂氏のいう「小説とは運動」なのだろう。

 それから「今、現在を書け」みたいな記述もあった。今日は3/11。もう夕方ちかい。

 薄暗くなり始めた自室にいる。周辺を本の山と地域新聞の束に囲まれている。目の前のTVではスカパー放映の『ダンシング・チャップリン』が流れている。

 コタツに足を突っ込んではいるがスイッチを入れるほど寒くはない。だが空気はひんやりしている。さっきジムでシャワーを浴びたので湯冷めしかけてもいるようだ。

 ピアノの音。TV画面では延々とバレエシーン。だけど意識はもうTVのほうを向いていない。早くも「今、ここ」から遊離しかけているのか。

 部屋の外で足音。父か母か。もう夕食が近い。昼と夜の入れかわる時間帯。ピアノの音。耳を圧する。液体のように空間を満たす。コタツの天板の上、カリカリと鉛筆の先が当たる音。メモ紙の上に文字が並んでいく。これが「運動」なのか。

 運動につれ意識も変わらなければならない。変化はあったか。俺の中に、何か見つかったか。すでにほとんど気持ちはTVにない。これから訪れる夜を考えている。何をするべきか順番を考えている。

 足元が冷えてきた。コタツのスイッチを入れよう。

 パソコンが修理から戻ってきた。契約再開してから初めて自室でスカパーを見た。1日3枚小説もスタートした。いろいろ動き始めた感じだ。この疲労が心地いい。

 メモ紙なので何枚書いたかわからない。だいたいこのへんで3枚きたか。でも3枚までと決めてるわけじゃない。意識が途切れるまで続けよう。意識の途切れた場所、そこが「小説」の結びとなるはずだ。

 手書きというのは気持ちをトランス状態にもってきやすいのか。鉛筆を持つ手は動き続ける。保坂氏も本の中で手書きを薦めていた。このあとPCに打ち込むが、その際も追加や削除はなるべく避けたいものだ。

 もうほとんどTVの『ダンシング・チャップリンン』は俺の気持ちにない。映画がちょうど終わった。

 ライトをつけよう。

 ここでいったんパソコンに落としてみよう。どうやらこのへんが今日の結末か。何か「小説」らしいものは書けたか。

 気持ちがスローダウンしてきた。少しづつ宙空から降りてくるのを感じる。エンディングテーマとともにTV画面をスタッフロールが流れていく。一変して始まる予告篇。次々と作品の断片。意識は拡散。エクササイズ終わった気分。