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足立区・オン・マイ・マインド④「大人になったら街が縮んだ。」-sio.note-

画像_足立区_オン_マイ_マインド_ 

東京・足立区には下町的な場所と、のどかな田園地帯とふたつの顔があると以前書きました。

 僕が生まれ育ったのは下町っぽいエリアのほうでした。小さな家がひしめき、路地を少し入った場所に家がありました。

 当時は何の気なしに過ごしていましたが、大人になってから訪れてみると、そのあまりの狭さにガク然とします。

 路地はひとが一人、やっと通り抜けられるぐらいの幅しかありません。路地というより単なる建物と建物のスキ間です。自分はこんなところに住んでいたのかと情けない気持ちでいっぱいになってきます。

 むかし小学校まで通っていた道も、当時は広い通りだと思ってたのに実際は車1台程度の幅しかなかったり。

 自分が成長したぶんだけ、故郷は縮んでいるようです。

 むかし家のあった場所から少し歩くと、『荒川アンダーブリッジ』というコミックの舞台になった荒川が流れています。

 真心ブラザースの曲にも歌われた荒川土手をのぼると目の前には河川敷が広がり、対岸に北千住の街並みが見えます。東武線電車や千代田線の地下鉄が音をたてて鉄橋を渡っていきます。

 河川敷は現在ではすっかり整備され、サッカー場や野球グランド、テニスコートなんかもできており足立区民のいこいの場所となっています。でも僕の子ども時代は岸辺までうっそうと水草が茂り、たいへんに薄気味悪い場所でした。

 子どもが水の事故にあわないようにという大人の配慮なのか、「ここは危険!」という看板が水べりに立っていました。看板には溺れかけてアップアップしているカッパが描かれ、ギョロ目をむいたカッパの表情がいまでもトラウマです。

 水死体、いわゆるドザエモンがあがったのを見たこともあります。

 警官や野次馬が集まって静かだった河原はものものしい雰囲気に包まれていました。
 救急隊員の担架で運ばれるドザエモンはすっぽり顔まで毛布をかけられていましたが、両足の先が毛布の下からにょきっと突き出していて、半分脱げかけた黒い靴下がブラブラしていました。

 そんなのどかな(?)思い出がある荒川の土手ですが、現在の姿はどうなっているでしょう。

 続きはまた次回に。

 

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